今日は湿度が高く、梅雨を感じさせます!

水不足だったので恵みの雨となりそうです

さて、先週の土日は当院のスタッフを引き連れ、札幌へ行ってきました

札幌へ学会発表で行くわけですが、ずいぶん前より準備を進め、ようやく出来上がったしだいです

日々の治療に追われているにもかかわらず、スタッフみんながんばったね!

 

そもそも学会参加の目的とは?

と聞かれると「自己啓発」です

①心の成長(自ら学び、判断力、忍耐力の習得)

②能力の成長(知識を習得し、治療に役立てる)

③自信をつける(人の前で話をする)

これぐらいかな・・・

鍼灸の研究という目的はない、とはっきり言っておこう

なぜなら鍼灸はデータ化することが難しく、さらに小さな治療院では研究機関のような測定機器がない

しっかりとしたデータを取りたいとおもったら、測定機器の研究までが必要となる(誤差や再現性など)

また、私たち鍼灸師の生命線であるツボは科学で解明されていない

にも関わらず、ツボを使い、日々治療をしている

ツボの効果を科学的に解明しようとしている人はたくさんいるのかもしれないが、おそらく困難を極めるだろう

学会の発表で私が質問したが、「逆子のお灸には即効性はないということですか?」という質問に、

「お灸をして30時間以内に逆子が改善する」という論文があるといわれた

おいおい!

30時間ってほかに何か起こりうるんじゃないか?

それをお灸の効果とするのは無理があるのではないか?

挙句の果てには「反射」、「自律神経」がツボの効果と言う人!

無意識で行われていることはすべて反射だけど・・・

毎度、参加して思うことは、本当に鍼灸師は進歩していない・・・という想い

仮に病院で「自律神経失調症」といわれたら、この医者、病気を突き止められなくて、ギブアップなんだといっているようなものだ

それと同じような発想しか浮かばない時点でどうかしている

 

東洋医学は深い歴史があって、人々の身近の存在であった

現在のような病院があって、検査機器があってカラダの状態を評価するというシステムがあるわけでもない

つまりなんら根拠のない経験則に基づいた行為であった

しかし、痛い、かゆい、くすぐったい、熱い、寒いなどの反応は脳と末端の関係で、脳の働きが理解されるにつれ、解明が進んできた

とはいえ、人体は未開発なことが多い

病気などを含めるとほとんどわかっていない

それでも病気の人はいるわけで、何とかしなくてはならない

どうやったらその人を救えるか、全身全霊で向き合うことが重要だ

それが医療の始まりのはずだ

フェイスブック友達の医師が書いている記事がまさに同じようなことを書いていた

私は今まで30年近く論文を読んできたが、治療に役立つ論文は本当に皆無、的外れ論文、インチキ論文だらけであった。

こういった論文に比べたら、一般向けの本の方が格段に有用である。

 著者の”何とか真実を伝えたい”という熱い気持ちが伝わってくる。 (情熱や熱意のないところに感動はうまれない)

特に、医者でない科学者から医学への提言、精神科医でない医者からの精神科への提言は本当に貴重であり勉強になる。

事実、論文を読まなくても、実際の医療に、何の不都合もない。

むしろ、視野が広がり新しい治療のヒントを得ることができるのである。

 本を書く医師達は、自分が発見した真実は世に出して、世の中の人に役立ててもらいたいと切に思うのである。

それが、著者の魂となり読者を引き付け大衆の心を動かすのです。

ですから、医師が単行本を書くのは、頭の固い専門医相手ではなく、柔軟な思考の勉強熱心な一般人向けに書いているのです。

これは、医者の根本的なモチベーションから考えて、自然な流れだと私は思います。

つまり、最新の科学的真実は論文にならずに、実際は、単行本として出されるのです。

論文ばかり読んで本を読まない専門医はどんどんバカになっていきます。

「医学の新しい事実は、医学論文にならずに単行本として世に問われます。」

この流れは益々加速していくと思われます。

実際に医学論文は、今や誰にも相手にされなくなっています。

だから学会発表や、論文執筆は、まったく、意味のないものになっています。

論文ばかり読んで、本を読まない専門医は、勉強している一般人に、知識で負ける時代が来ますね。

そのような医師は、今後生き残っていけなくなりますね。

文献しか、論文しか参照しない視野の狭い人たち

しかも自分で研究したわけでもない

ただその情報の受け売りでしかない人たち

もう生き残れないよ

もっとちゃんと目の前のことを大切にしていかないと