鈴木です
もう少しカンボジアについて。
ラーさんの村に3日間滞在した。
その村にはかわいい子供と気の利く女性、働き者の男性がいた。
それもすべてラーさんの教育であるということはすぐに気が付いた。
後藤神父様を「おとうさん」と呼び、村の人たちもそう呼んでいる。
大事な客人をおもてなしするため、常に私たちに気を配っているのだろう。
私はクメール語をまったく勉強してこなかった。
もちろん、村の子供たちはクメール語のみ。
意思疎通はできるのか?
でも子供とは「言葉」入らず、いやいや大人とだって「言葉」は必要なかった。
朝から晩まで子供と縄跳び、ボール遊び、折り紙などで遊んだ。
小学生の頃を思い出し、楽しい過ぎる時間を過ごせた。
最後の晩、毎回恒例のカレーパティーが催された。
シートの上にカレーやパンなどが置かれ、私たちが席に着く。
席を決めるとき、どうせだから「ばらけて座ろう」ということになった。
前回までは、言葉が通じないから日本チームとカンボジアチームという感じで座ったそうです。
バラバラに座り、村人と酒を飲む。
言葉はわからないが盛り上がる。
途中から踊りが始まった。
もちろんフォークダンス(小学校)以来初めて踊った。
最後の晩は大いに盛り上がった。
年甲斐もなくはしゃぎすぎてしまった。
だいたい酒を大量に飲んだ後は後悔する。
朝起きたら筋肉痛で動けなかった。
朝は、村人に歌をプレゼントしようということになり、『花は咲く』をうたった。
そのお礼にカンボジアの歌を歌ってくれた。
村人との最後の瞬間が来た。
女性陣は涙を流してハグしていたが、男は実に不器用な生き物である。
どうしてもその輪には入れなかった。
不完全燃焼で村を後にしましたが、村での生活が居心地がよく、すぐに村が恋しくなった。
その後は、リゾートで2日間過ごすのだが、どこへ行っても心に響かなかった。
気分が盛り下がっての帰国となったが、そのためか冷静に考えた。
ボランティアとはいったいなんだろう?
たとえば、私が村人のためにお金をあげたとする。
それはボランティアなのか、自己満足なのか、もしくは貧しい人間を買いに来た日本人なのか。
後藤神父様も84歳、脊柱管狭窄症、ひざの痛み。
ラーさんも50代、糖尿病、脳こうそく。
それでも二人は体に鞭を打って支援を続ける。
きっと体中痛いはずだ。
この二人がいなくなったら、このNPOは成り立たない。
まさに似た者同士、親子なんだなと思いました。
自分にできることはなんだろう?